小倉城マスコット
小倉城マスコット横後

プロフィール

小倉城天守閣1階・2階に展示している「迎え虎(オス)」「送り虎(メス)」の絵が元になったキャラクター。その絵は日本最大級(高さ4.75m×2.5m)である。小倉城に来城されたお客様をお迎えし、全国に小倉城をアピールすることを使命としている。カブトがはみ出すほどの大きな頭が、チャーミングポイント。額の模様は、小笠原家の家紋である三階菱になっている。

愛称
: とらっちゃ
性別
: 男の子
出身地
: 北九州
現住所
: 福岡県北九州市小倉北区城内2-1(小倉城内)
趣味
: ぬか漬けを作って食べること
仕事
: 小倉城を全国にアピール。来城のお客様をお迎えすること 。

小倉城をとりまく歴史

小倉城の歴史は、関ヶ原の戦いの功労で入国した細川忠興によって1602年に本格的に築城されました。忠興は城下町振興策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。

細川氏の熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。この時期、小倉は九州各地に通ずる街道の起点として重要な地位を確立し、同時に小倉城はいっそう充実し、城下町も繁栄しました。小笠原忠苗の時期には、城内下屋敷に泉水を持つ回遊式庭園もつくられています。しかし、1837年城内から発した火災によって全焼。2年後再建されましたが、天守閣は再建されませんでした。

幕末期になると、小倉は長州藩を攻める第一線基地となり、その中で小倉と熊本藩は勇敢に戦いましたが、他の九州諸藩の兵には積極的な戦意がなく、ついに1866年、自ら小倉城に火を放って戦線を後退せざるをえませんでした。

明治10年の西南戦争の際には、小倉城内に駐屯していた歩兵第14連隊が、乃木将軍に率いられて出征しました。その後は、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。

太平洋戦争後には米国に接収されましたが、1957年に解除され、1959年市民の熱望によって天守閣が再建されました。この天守閣は「唐造りの天守」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根のひさしがなく5階が4階よりも大きくなっているのが特徴的です。また、城の石垣は切り石を使わない野面積みで、素朴ながらも豪快な風情にあふれています。

小倉城
小倉城公式サイト

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